私は「死にたい」という言葉を発する人を全く信用していない。
実例を見ているからだ。
単に人の関心を引きたいだけで、実際に実行した人を見た事が無い。
なお、死にたいと頻繁に発言した人は少なくとも5人以上見ている。
全員健在だ。
一人は15年以上前から言っている。
そんなもんだ。
他の人がどう思うかは自由だ。
私は絶対にこの手の人を信用しない。
そもそも自殺することですべての責任を放棄する気だからだ。
信用できるわけがない。
しかもこの発言をする理由が本当にくだらない、自分の能力不足を正しく認識していないだけだ。
出来ない事にこだわり続けて何かいいことがあるのだろうか?
それにこだわり続けている時点で視野が狭い。
出来る事とやれる事と、やりたい事をうまく組み立てていけばいい。
出来ないけど好きなら好きにやっていればいい。それは自由だ。
仕事ならやめろ、無駄だ。
それを判断できないのは無能だ。
また、自殺未遂で終わった場合、それを公表する事も理解しがたい。
かまってちゃんの末期がこれだと思う。
なお、完遂した場合、それもどうでもいい。
自分の判断で実行したんだから、私がどうこう言うのはお門違いだ。
なお、誹謗中傷という言葉が独り歩きしている気がするが、原因となる出来事が「本人の責任」である事が多い。
それについて、何らかの行動を行っていない人がこの錦の御旗を振りかざしている気がする。
また、そんな非生産的な誹謗中傷を実行する連中が全体であるような話にしている情報発信が多すぎる。
自分が特別だと勘違いした人の最終到達点なのかもしれない。